好き勝手書くブログ

日々のニュースや出来事の中から書きたくなったことを突然書くブログ。

武田邦彦教授の小保方氏擁護論

YOUTUBEを見ていたら次のような動画があった。

STAP細胞 小保方論文は何が問題? 武田邦彦が騒動を斬る!! 2/2

https://www.youtube.com/watch?v=6MFRYEJ4q90

1/2と言うのもあるがこれはインタビューくらいなので意味はない。

 

2/2では、武田教授らしい一般的な評価とは違う説明がなされている。

「論文なんて間違ってるものなんですよ。」

「眠かったからって言ってればいいんですよ。」

ということだ。

そして、日本の科学界は体裁ばかり気にしていると批判。

 

「日本の科学界は体裁ばかり・・・」という部分ではまあ言いたいことはわかる。しかし、論文が適当でもいいなどとする見解はいかがなものか。

何も私も「体裁」を重視しているのではない。どちらかと言うと体裁ばかりで、重箱の隅をつつきたがる日本の潔癖症にはうんざりだ。が、「画像なんて良く間違えますから」など、簡単に言っているが、画像は間違えたという(テラトーマ画像)ものにも加工跡があるのを知らないのか?アレは眠かったでは済まされない。「眠くて取り違えた」のと「眠くて面倒くさいから違うのをちょこっといじって入れちゃっても解らないだろう」というのは意味が違う。後者の考えは、事の重大さを解っていない考えだ。

百歩譲って「眠くて間違えた」なら「眠くて間違えてフォトショを開いて画像を上手いこと加工してしまった。」になる・・・・・ちょこっとでもフォトショはじめ、画像処理ソフトを使ったものならすぐ解る「アホ臭い」いい訳だ。

個人の趣味的な研究からこの発表を生み出したなら、まあまだこの論理は通用するだろう。しかし、社会人として給料をもらって研究している、しかも国から資金をもらっている理研の研究員である。こんな論理はさすがに通用しない。

 

「研究員は忙しい中で研究している」

などと、テレビでぬけぬけと言い放つのも最悪だ。

忙しければ仕事が適当で人に迷惑をかけても仕方がないということか。仕事でやっているのなら忙しくてもやることはやらなければ評価されない。忙しくて手を抜くのがいけないというわけではない。他の人に解らず、結果に大きく影響しない手抜きを上手くやるのは「技術」だ。誤解を恐れずに言うなら、世の中には一部こういうこともある。他の人に簡単に解り、最終的に重大な欠陥となってしまう手抜きは「未熟」である。今回は明らかに「未熟」であり、苦しい言い訳はかえって自分の首を絞める。

武田教授は「上手く効率よく行う意味での手抜き=技術」と

「単なる自分への甘えからの手抜き」を混同している。

 

日本の科学界が体裁を気にしすぎるという批判はあっていい。が、日本の科学界は今これがスタンダードで求められているのだ。であれば、出来もしないで「日本の風潮がおかしい」というのはただの責任逃れだ。本当に訴えたいなら、求められるとおり、誰にも文句を言われない内容のものを作ってから批判しなくては、「義務を果たさず権利だけ主張」と何も変わらない。

しかもテレビで大学教授として出演すれば、その肩書きから「信用」してしまう人もいる。いいっぱなしの言ったもん勝ちでは無責任だ。私のような「どこの誰かもわからないバックボーンも不明なただのブロガー」ではないのだ。

 

テレビで目立つことを言い、人気者になるのは結構だが、それだけなら是非大学教授の看板を外してほしい。そのくらい自分の発言が影響力があることを肝に銘じてテレビに出て欲しいものである。