好き勝手書くブログ

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STAP細胞疑惑に見る日本の縮図

独立行政法人理化学研究所(以下理研)の小保方ユニットリーダー他が発表したSTAP細胞論文の不正問題が世間をにぎわせている。

 ことの発端についてはこのようなブログを見る方であれば、詳細にご存知であろうとは思うが、念のため簡単なあらすじを書く。

理研は、多能性を持つ細胞についてある画期的な論文を有名学術雑誌Natureに寄稿し掲載されたと発表した。この論文の著者の一人で研究のユニットリーダーは小保方博士というまだそれほど実績の無い若い女性研究者であった。この研究及び論文は世紀の大発見とも言える内容であり、それをキャリアのある有名研究者ではなく、若き女性研究者が発表したということを受けて各マスコミもこぞって報道。黄色やピンクに彩られた研究室、割烹着で実験等のお堅いイメージの研究者とは違う一面も報道されるなど、一躍時の人になる。しかし、論文を見た他の研究者やネットから画像の切り貼りを指摘される等、論文が捏造ではないかとの疑惑が持ち上がる。さらに、自身の博士論文にも無断引用(いわゆるコピペ)があったりと、過去の論文にも同様の不正があるとして、論文撤回を求める騒ぎとなった。

*あらすじとして構成しているため細かい表現にニュアンスの違いがある場合があります。

 

この論文不正に関してネットでは「捏造」とされ、論文撤回と小保方氏への責任追及を問う声が多数上がっている。

論文の不備については擁護の余地の無いものである。実験画像の切り貼り、使いまわし、コピペなど倫理的には全く弁解の余地が無い。

しかしその責任追及の流れを見ると、昨今日本で起きているさまざまな問題が浮き彫りになっているように感じるのである。

STAP細胞に真偽についてはさまざまな議論がなされているが、私がネットで見る限り論文の撤回と言う点ではほとんどの方が意見が一致している。撤回すべきと言うものである。倫理上許されない不備(ここではあえて不正とはしません)があることは事実であるので当然の見解であろうと思われる。では、STAP細胞そのものの真偽についてはどうか。これは「論文が捏造であるからSTAP細胞も捏造である」という意見が散見される。というか主流と思われる。それ自体は問題とは思えないが・・・中に「小保方氏は不正をしているので信用ならない。したがってこの人が言うことはすべて捏造である」とも捉えられる意見が散見される。一般の「素人」だけでなく研究畑のいわゆる「同業者」からの批判も多い。

 私が思っている「科学」とは(私は全くの素人です)「未知の解明」だ。論理的に「未知」であればそこを追求し、真理を導くことが「科学」だと思っていたので、「論文が捏造だからSTAP細胞も捏造だ」という結論が「科学」の立場から導き出されるとは思わなかった。確かに「論文」は捏造といわれても仕方の無い不備がある。しかし、その内容(STAP細胞の存在)が全くの「空想」であったかどうかは論文だけを見て判断は出来ないはずだ。理研は再現実験のプロトコルも公開した(後からだが)。情報だけを見る限り「全くの空想で書いた論文」とは思えない。何かしらの実験の結果この論文が書かれたはずである。そうであったならば「空想」ではなく「実際に存在すると思ったが間違い」もしくは「実在する」の可能性が出てくる。

「空想」なら間違いなく捏造である。

「間違い」なら捏造とまでは言えないかも知れない。

ここに「未知の部分」が存在する。

「空想」なのか「間違い」なのかは

「未知の部分」があるなら断定しないのが「科学」ではないかと思うが、ネットでは「捏造だ」との声が強い。が、現状では「STAP細胞そのものが捏造かどうかは解らないが、論文はNatureに掲載してもらうために偽装した」ということしかわかっていないはずである。であれば「真実は何か」という考察があるはずであり、本当に真偽を確かめるには「再現実験の結果を待つ」と言う姿勢が正しいのではと思う。(論文の真偽を待つんではなく、実験の結果を待つということ)

しかし現状は問答無用の「小保方バッシング」に近い状況だ。

日本ではこのような「話題になってからのバッシング」と言う構図が後を絶たない。科学的なことであっても「言語道断」となってしまうのだ。

なぜこのような事態になるのか?

それは日本人が「集団ヒステリーに陥りやすい体質(性質)」だからではないかと思う。

 

次エントリーよりその考察をしたいと思う。